白衣に真っ赤な袴姿の巫女さんは、神社に欠かせない存在ですね。
真っ赤な緋袴(ひのはかま)の原型は、平安時代にまで遡るといわれています。
巫女さんは、神職のサポートをする人という感じがしますが、昔は巫女さんこそが「主役」だったのです。
古代、日本人は神の存在を森羅万象に認め、その力を崇めはじめた頃に、儀式によって神を呼び寄せ、自らの体に神を宿らせた女性がいました。
トランス状態となった彼女たちは、その口から神の言葉を紡ぎ出します。
人々はその「ご信宣」をもとに村を、国を治めていきました。
この儀式を「巫(なんなぎ(ふ))」といいました。
巫を司る女だから、巫女というのです。
身をもって神の言葉を民草に伝える、いわばシャーマンである巫女たちが古代祭祀の中心でした。
男性の神職は巫女さんの補助に過ぎなかったのです。
巫を行う男性もいたそうですが、ごく少数だったそうです。
シャーマンとしての巫女の中で、最も有名な存在が、かの卑弥呼であったといわれています。
卑弥呼はその巫女の力を使いカリスマ性を高め、邪馬台国を支配ていたといわれています。
三世紀に中国で編纂された『魏志倭人伝』にも登場する、日本の歴史上最古の巫女です。
卑弥呼を日本神話の最高神の一柱・天照大御神とする説もあります。
女性が祭祀を司っていた弥生時代から5~6世紀にかけては、卑弥呼に代表されるように巫女は非常に高い地位を誇っていました。
巫女をモチーフにした埴輪も出土しています。
しかし7世紀頃から始まった律令制の中で、日本は男性が権力を持つ社会へと変容していったのです。
中国や仏教の影響もあり、男性に対する課税が重くなったことが背景にあるともいわれています。
また、それまでは男性は狩猟、女性は農耕と作業を分担していたが、安定した食料生産のために男性も農作業に従事するようになり、村落での男性の発言権が増してきたことも原因の一つだと考えられています。
7世紀頃から巫女ではなく、男性神職が祭祀を執るようになっていったのです。
中世以降は、巫女からシャーマン色は薄れていきました。
巫女は、神楽や舞を奉納して、儀式を補佐する立場へと変わっていったのです。
そして明治時代になり文明開化が叫ばれているときに、神を降ろすとかご託宣などというのはあまりにオカルトだと新政府は考えました。
政府は巫女による託宣そのものが禁止となりました。巫女禁止令と呼ばれています。
しかし、東北地方のイタコ、沖縄のユタやノロなど、いまでもシャーマンとしての活動を続けている女性たちがいます。
現代において巫女になるには、神職とは違ってとくに資格などは必要ありません。
最近はアルバイトで巫女さんしている人がおいですね。