甲子園の土を持ち帰るようになったのは、1949(昭和24)年の夏、第31回全国高校野球選手権大会から。
この大会で優勝候補とされていた福岡県の小倉北高で、エースの福島一雄投手は球史に残る名ピッチャーでした。
2年前の春から6期連続で甲子園に出場し、夏の甲子園を連覇し、5試合連続で完封も成し遂げていたそうです。
この、第31回大会は、福島投手にとっては最後の夏の甲子園で、しかも三連覇がかかっていました。
しかし、準々決勝で打ち込まれ、そのうえ肩を痛めて9回で降板し、小倉北高は、延長10回で、7対6で、まさかのサヨナラ負けをしてしまったのです。
この時、ペンチからホームベースのところに出てきた福島投手は、無意識のうちにしゃがみ込むと、土をひと握りズボンの後ろのポケットに入れたのです。
福島投手は、無意識に行ってしまったのですが、ある運営委員から「あの土を想い出にするといい」といった手紙をもらい、土を植木鉢に入れて大切にしてのだそうです。
このエピソードが広まり、甲子園で敗退したチームの選手たちが土を持ち帰るようになったのです。
甲子園球場が完成したのは、1924(大正13)年のことです。
甲子園は、海岸に近いので地質的に白い砂が多く、そのままでは、白いボールが見えにくいのです。
そこで、淡路島から黒土を取り寄せてブレンドし、野球に最適な色や硬さのグラウンドにしていたのだそうです。
現在では、鳥取の大山麓の土、桜島の火山灰、中国福建省の白砂など、さまざまな土が使われているそうです。