結納とは
結納とは、婚姻に先立って、婿方が女性の家に持参する縁起のよい酒肴(しゅこう:酒と料理のこと)、もしくはその儀礼そのもののことです。
平安時代の婿入り婚でも、「結いの物」と呼ばれ、婿方が初めて女性の家に入る際に酒肴を持参したそうです。
やがて、戦国時代から江戸時代にかけての武家社会で、いわゆる嫁入り婚をとるようになり、結納は婿方、嫁方の格式にふさわしい物品に変わってきたのです。
具体的には、花嫁の衣装や帯など身の回り品一式を取りそろえて、仲人を介して贈られるようになったそうです。
一方、嫁方でも、贈られた結納の額とその家の格式に見合った花嫁道具をそろえって、あらかじめ婿方に届けるようにしていました。
さらに時代を経て、結納は物品から金銭へと変化してきました。
いまでも、結納の目録に「御帯料」「御袴料」などと書かれているのは、かつて物品を贈っていたときの名残なのです。
結納は、婚姻が婿方で破たんしたときの、一種の保障的な意味をふくんでいたのだそうです。
神前結婚式とは
最近は教会で結婚式を挙げる人が増えていますが、神主さんに祈ってもらう神前結婚式を挙げる人も多いですよね。
現在のような神前結婚式が行われるようになったのは、明治時代になってからだそうです。
鎌倉時代の武家の婚礼では、婿方の家に輿に乗った花嫁が来ると、婿方の家族も参加して夫婦の盃を交わし、その後、親戚などに紹介するという、ごく簡単なものでした。
やがて、婚礼はしだいに儀式化して、室町時代には三三九度も加わるようになったそうです。
現在の神前結婚式の形は、明治三十三年の皇太子(後の大正天皇)ご成婚の儀式を手本にして始まったといわれています。
また、婚礼の儀式を婿方の家以外の場所で行うようになったのも、この大正天皇ご成婚からだそうです。
以後、一般人も神社で神前結婚式を行うようになる、新郎・新婦は神前で三三九度を交わすようになったのだそうです。
三三九度とは
三三九度の盃とは、新郎・新婦がともにお神酒を酌み交わして結婚を誓い合う神式独特の儀式です。
三杯ずつ三度、盃のやり取りをするので、「三献(さんこん)の儀」「三三九献」とも呼ばれます。
三三九度は、まず大中小の三重ねの盃のうち、新郎が小盃(一の杯)を両手で取り、巫女にお神酒を三度に分けて注いでもらいます。
新郎はそれを一口目、二口目は口をつけるだけにし、三口目に飲み干します。
その後、新婦も同様の手順で行います。
中盃(二の杯)は逆に、新婦が両手で取り、小盃と同様に三度に分けて注いだお神酒を三度にわけて飲みます。
その後、新郎も同様の手順で行います。
最後は、新郎が大盃(三の杯)を両手で取り、小盃と同じように新郎、新婦の順で行います。
このように、新郎・新婦が三度、三度に分けて合計九回繰り返すので、三三九度といい、何回も新郎・新婦が盃を重ねることによって、固い縁を結ぶという意味が込められています。
ちなみに、三三九度という回数は、中国の影響を受けたものといわれています。
奇数である三は縁起の良い数字(陽数)とされていました。
それを三回繰り返し、よりめでたい数字である九にすることで、最高のめでたさを表したのだそうです。
披露宴とは
結婚式のあとに、新郎・新婦の文字どおりお披露目の宴が披露宴です。
近世以降は、おもに新郎の家で婚姻の式が行われ、親戚・知人・隣人などを招いて披露宴が行われました。
そして、翌日はとくに新婦のお披露目のために、新郎の親と新婦が近所にあいさつをして回り、息子の嫁として嫁入りを認知してもらうというのが慣例でした。
昔は村の外から嫁を迎える時に、両家の関係者はもちろん、村人たちにもお披露目して公認してもらう必要があったのです。
明治時代以後、神前結婚式の広がりとともに、披露宴もしだいに盛大になり、挙式よりも披露宴のほうに重きが置かれるようになってきました。
現在でも、披露宴では開宴を待つ間、招待客に桜湯が出されることがあります。
これは、お茶は「お茶を濁す」に通じるということで敬遠され、茶碗のなかで桜の葉が開き、見た目も縁起が良いということで、桜湯をだすようになったのだそうです。