日本で暮らす外国人が、「オサシミ、アリマスカ」と店の人に尋ねたら、
「お造りになります」と答えられて困ってしまったことがあるそうです。
刺身とお造りに差はあるのでしょうか?
実は、どちらも同じ料理を指す言葉で、
刺身とお造りに違いはないのです。
関東では、「刺身」、
関西では、「お造り」
が一般的な名称だそうです。
魚介類の切り身を生で食べる料理は、
江戸時代、まず関東を中心に広まりました。
武家社会の関東では、「切る」という言葉は縁起が悪いとして、
「切り身」という名称が避けられ、
「刺身」と呼ばれるようになりました。
また、魚を切り身にして並べてしまうと、
何の魚の料理かわからなくなってしまうので、
魚のヒレやエラの部分を「刺して」目印にすることで、
魚の種類がわかるようにしていたことから、
「刺身」と呼ばれるようになったという説もあります。
関東から関西に広まった刺身ですが、
関西では、「刺す」という言葉も縁起が悪いとされました。
そのため、「調理する」という意味を持つ「作る」という言葉から「作り身」「造り」「お造り」へと変化しました。
現代では、舟盛りや尾頭付きなど豪華に飾られた刺身を「お造り」と呼び、
シンプルな切り身を「刺身」と呼ぶ傾向がありますね。
しかし、小さな皿に少量の切り身を盛りつけた場合も、お造りと呼ぶ場合もあります。
はっきりとした区別はありませんね。
ところで、日本人はいつから生魚を食べるようになったのでしょうか?
刺身が食べられるようになったのは、
関東で濃口醤油の大量生産が始まった時期だそうです。
やっぱり刺身には醤油ですよね。
日本で今のような醤油が最初に作られたのは、
現在の和歌山県湯浅町あたりだそうです。
鎌倉時代の僧侶が中国から持ち帰った径山寺味噌(さんざんじみそ)の製法を味噌が造られました。
その後、味噌からしみ出る汁がおいしいことに気づき、
これが「たまり醤油」となったのです。
最初は関西で広く使用されていました。
しかし、それは薄口醤油でした。
1600年代後半から1700年代にかけて、
関東で濃口醤油がつくられるようになりました。
濃口醤油は、生魚と相性がよかったので、
江戸の食文化を大きく変えていったのです。
特に、マグロは腐りやすいために、
江戸の人々から下魚と見なされていたのですが、
醤油で赤身を漬け込む「ヅケ」という食べ方が登場して、
マグロの価値が上がったのだそうです。
ちなみに、江戸後半になると、握り寿司が出てきます。
江戸前寿司は、白米であるシャリの上に魚の切り身をのせた握り寿司で、
考案したのは、華屋与兵衛といわれています。
与兵衛は、それまで江戸でも食べられいた押し寿司をヒントに、
その場で握ってすぐに食べることができる「握り寿司」と編みだし、
岡持を持って街の中を歩いて売って回ったそうです。
繁盛すると、今度は現在の墨田区両国に屋台を出して、商売を始めたそうです。
その後「華屋」という店を構え、
「与兵衛寿司」として売り出しました。
これが江戸で評判となり大盛況し、
他にも握り寿司を出す店が江戸中に広まったそうです。
このため、江戸前寿司の発祥の地は、
墨田区両国とされています。
この発祥の地となった華屋は、
1930年(昭和5年)まで継続していました。
現在では、その地に、
華屋与兵衛と与兵寿司を称える記念碑が立っています。