「能」と「狂言」の違いは、テレビ番組に例えると
「能」は、シリアスドラマ、
「狂言」は、お笑い番組ということができます。
「能」は、人間の情念、深い心理などをテーマとして扱っているのです。
役者は能面で顔を覆い、その面の動きや角度によって喜怒哀楽のすべてを表現します。
一方、狂言は、人間社会のおかしさを扱います。
役者が演じるのは貴族や武士、一般の庶民など、身のまわりによくいる人物たちであり、
彼らがおかしな行動や言葉、動きなどで、観客を笑わせます。
能がシリアスな幽玄の世界を描くのに対して、
狂言は、日常的な暮らしの中にある笑いがテーマになっているのです。
能と狂言の源流は、平安時代に生まれたと言われる猿楽です。
猿楽は、サーカスのように曲芸や手品、モノマネなど多種多様な要素を含む芸能でした。
それが、シリアスな要素が能に、お笑いの要素が狂言へと別れていったのです。
しかし、芸能としては分離したものの、能と狂言は一緒に上演されました。
観客は、シリアスな能を見た後に狂言を見て笑い転げ、
再びシリアスな能を見ていたのです。
鎌倉時代から室町時代に「立ち合い能」というのがあり、盛り上がりました。
これは、芸能一座がその演目を上演しあう勝負をしたのです。
立ち合い能で勝ち上がれば、一座の人気は上がります。
このような競い合いの上に能や狂言は進化していったのです。