七福神とは、
福徳をもらたすとして信仰されてきた、
恵比須(えびす)
大黒天(だいこくてん)
毘沙門天(びしゃもんてん)
弁才天(べんさいてん)
福禄寿(ふくろくじゅ)
寿老人(じゅろうじん)
布袋(ほてい)
の七神のことです。
恵比須神は、
日本で古くから信仰されてきましたが、
そこに、
中国からやってきた
福禄寿
寿老人
布袋
と
インドからやってきた
大黒天
毘沙門天
弁才天
の神様が加わりました。
室町時代ごろから七福神として、
庶民の間でさかんに信仰されるようになりました。
恵比須は、
七福神の中で日本古来の唯一の福の神。
古くから漁業の神でしたが、
その後留守神、
さらには商いの神になりました。
烏帽子をかぶり、
釣竿を担ぎ、
おめでたい鯛を脇にかかえた恵比須様は、
とくに大衆の間で人気を博したようです。
もともと恵比須は、
夷(異国人)に由来するといい、
日本では異国からの漂流物のなかに水死体が流れ着くと、
漁師たちは寄り神とか恵比須様と呼び、
大漁をもたらす神として祀ったりしたといわれています。
また、商人たちが遠くの国と海洋交易をするようになると、
航海の無事を祈るとともに、
商売繁盛の神様として信仰するようになったそうです。
さらに、
農村でも、
稲の豊作をもたらす田の神として信仰されたり、
かまどの神として、
かまどや台所の近辺に祀られたりするなど、
広く庶民の間で信仰を集めました。
福禄寿は、
中国生まれの神で、
頭が長く、
体が短いのが特徴です。
福(幸福)、禄(富)、寿(長寿)
の三つの福徳を授ける神として信仰されました。
寿老人は、
中国で生まれた長寿の神様です。
杖に巻物をつけ、
鹿を連れているのが特徴です。
福禄寿と同一視され、
七福神から外された時代もありました。
布袋尊は、
中国に実在したといわれる高僧です。
大きなお腹と、
手に持った布袋が特徴で、
弥勒菩薩(みそくぼさつ)の化身といわれました。
日本では招福の神として信仰されています。
大黒天は、
インドから伝わった神様なのですが、
日本の神話に出てくる大国主命(おおくにぬしのみこと)と同一視され、
恵比須神と並んで信仰をあつめました。
これは、
大黒天が、大国主命とお内容に大きな袋を背負っていて、
「大国」という字も「だいこく」と読めるからだったからのようです。
大黒天は、
頭巾をかぶり、
福袋を背負い、
手に小槌を持って、
米俵の上に座った姿で知られていますね。
そこから、
農村では穀物の神様、
田の神様として、
商家では商売繁盛の神様として信仰され、
恵比須と同じように、
かまどや台所の近辺にも祀られました。
毘沙門天は、
古代インド神話と仏教が融合して生まれた武神で、
仏教四天王の一尊で、
多聞天(たもんてん)とも呼ばれ、
北方を守る役割をもっています。
槍を持ち、
武装しているのが特徴です。
戦国武将である上杉謙信は、
この毘沙門天を信仰し、
旗印を「毘」としていました。
山形県米沢市にある上杉謙信を祀った上杉神社には、
今でも「毘」の旗が立っています。
弁才天は、
インドから伝わった女神で、
一般庶民には、弁天さんで知られています。
琵琶を奏でる伎楽(ぎがく)ほか、
多方面の技能を持つことから「弁才天」と呼ばれましたが、
江戸時代には、
町人たちからは蓄財の神としても信仰されたので、
「弁財天」とも書かれるようになりました。
各国で個別に信仰されていた神々が、
七人になったのは、
中国の「竹林の七賢(しちけん)」の故事にあやかっているといわれています。
「竹林の七賢」とは、
中国・晋の時代の末期に、
山陽(江蘇省)の竹林に個性豊かな人たち七人が集まって、
酒を酌み交わしながら、
自由、
放達な議論にふけったという有名な故事のことです。
こうして、
各国ばらばらに進行されていた神々が、
日本で七人の福神として信仰されるようになりました。
一時期は、福禄寿と寿老人を同じ人物として寿老人を外し、
吉祥天(きょうてん)と猖々(しょうじょう)を加えるなど、
現在の七福神になるまでに、
さまざまな入れ替えもあったようです。
室町時代以降、
都市や商業が発達するとともに七福神の信仰が広まり、
正月の初夢をみるために、
七福神の絵を枕の下に入れて寝る習慣も生まれたそうです。