エアラインの創始期、
旅客機に客室乗務員のようなスタッフは存在しませんでした。
機内における食事などのサービスは、
もっぱら副操縦士の仕事でした。
しかし、
当時の旅客機のタラップは、
いまと違って簡易なはしごしかなく、
乗客は乗り降りするのに大変な思いをしていました。
そこで、
乗客を手助けするための係として、
ホテルのベル・ボーイのような少年たちが雇われたのです。
彼ら乗客係は、
「キャビン・ボーイ」
あるいは
「エア・スチュワード」
などと呼ばれていました。
女性のスチュワーデスが誕生したのは1930年のことです。
アメリカの飛行機の大好きな女性、
エレン・チャーチは、
パイロットになりたいと熱望したのですが、
なかなかその夢はかなえられず、
サンフランシスコの病院で平凡な看護婦として働いていました。
そんなある日、
看護師であるエレンは、
航空会社を訪れ、
乗客係として看護師の資格を持つ女性を飛行機に乗せたらどうかと提案したのです。
当初、
航空会社の重役たちは、
エレンの提案にあまり乗り気ではありませんでした。
しかし、
機内の保安要員として看護師の能力は役立つはずですし、
女性ならではのきめの細やかなサービスも期待できるのではないかということになり、
エレン他7名の女性が採用されました。
採用の条件は、
「看護師の資格があること」
「25歳まで」
「独身であること」
「身長163センチ以下」
「体重52キロ以下」
でした。
これは、
当時の旅客機は機内が狭く、
重量制限がかなり厳しかったからのようです。
当時は、まだスチュワーデスという呼称になじみながく、
彼女たちは、
「スカイ・ガール」と呼ばれていたそうです。
女性スタッフの採用は業界的にも世界初なので、
ユニフォームのデザインやサービスマニュアルなどはこの時に工夫されました。
ユニフォームは、ダークグリーンを基調とし、
ジャケットとプリーツ付スカートという組み合わせとなりました。
また、長いケープや帽子もあり、
気温の低い上空での着用を考えて厚手のウールでできていたそうです。
しかし、機内業務の際には、
ライトグレーのナースキャップとスモックという看護師ルックに着替えていたとのこと。
現在は、キャビンアテンダント(CA)と呼ばれていますね。
操縦士になりたかった、エレンは、飛行機に乗れればよかったんでしょうかね。