1910(明治43)年、
浅草に日本初のラーメン店「来々軒」がオープンした。
店主の尾崎貫一氏は、
横浜の中華街から中国人コックを連れてきて、
開業にこぎつけたそうです。
当時のラーメンは、
しょうゆ味のスープにストレート麺、
具はメンマ、チャーシューだけだったそうです。
「来々軒」の評判は瞬く間に広がり、
1日1000杯、
多い時には3000杯を超えるほどの大盛況だったそうです。
この人気ぶりに目を付けて、
ラーメン店が雨後の筍のように次々と開店していったのです。
そして、
店名も「来々軒」をまねて、
「○○軒」と名付けられるようになりました。
「来々軒」の開店以来、
数多くのラーメン店ができたが、
関東大震災や第二次世界大戦によって店じまいを余儀なくされてしまいました。
そして終戦後は、
闇市からラーメン店の前身となる店が誕生しました。
とくに東京の荻窪などは、
ラーメンどころとして発展してきました。
その後、
昭和40年代には札幌味噌ラーメンブーム、
昭和50年代にはつけ麺ブーム、
とんこつラーメンブーム、
などと変化してきました。
当初は、真似していた店名もさまざまな店名へと変化してきました。
江戸時代の享保年間(1716~1735年)、
江戸浅草の柴崎町にある称往院という寺のなかに「道光庵」という子院(末寺)がありました。
信州生まれだった道光庵の藩主はそば打ちが得意で、
寺の檀家のもてなしとしてそばを打っていたそうです。
そして、そのそばがとてもおいしく、
たちまち評判となって、
寺参りの折にそはを求める人が押しかけることになりました。
なかには檀家にまぎれてそばを賞味する者もあったそうです。
当時、この”そば切り寺”道光庵の名声にあやかりたかった本職のそば屋の間で、
屋号に「庵」をつけるのが流行したのです。
現在では、「○○庵」は寺ではなく、
そば屋の代名詞になっていますね。
そんなに有名だった「道光庵」ですが、
残念ながら、明治のはじめ頃に途絶えたそうです。