1732(享保17)年に、
西日本でイナゴが大発生して凶作となり、
多くの餓死者が出ました。
さらに、江戸ではコレラが流行し、
多くの死者を出したのです。
八代徳川吉宗は、
死者の慰霊と厄払いを兼ね、
翌年の5月28日に隅田川で水神祭を行なったのですが、
このとき川沿いの料理屋や船宿が費用を出し合って、
幕府の許可を得て花火を打ち上げたのです。
これが隅田川花火大会の始まりです。
その時の花火師は、六代目鍵屋弥兵衛で、
打ち上げられた花火は20発ほどだったそうです。
現在のような何万発という花火大会には及びませんが、
暗い世相にうんざりしていた江戸っ子たちは大喜びしたそうです。
それ以降、
毎年隅田川の川開きの日には花火を打ち上げられるようになりました。
花火師は「鍵屋」「玉屋」を中心として競い合い、
技術が進歩した結果、
花火の仕掛けの面白さや華やかさが増していきました。
また、墨田川沿いに屋敷を持つ大名たちの間でも、
お抱えの砲術家に花火を上げさせる戯れが流行し、
狼煙花火をヒントにして大花火が生まれたそうです。
この墨田川花火大会は、
幕末の動乱期や太平洋戦争時には一時中断されました。
さらに、
高度成長期には、
警備上の問題や交通事情のために開催が見送られたこともありました。
現在、花火大会に厄払いという意味は、ないみたいですね。