古代オリンピックは、
8年おきに開催されていました。
古代オリンピックがはじまったのは、
紀元前9世紀頃で、
古代ギリシア人は太陽暦と太陰暦を併用していました。
太陽暦の8何は、
太陰暦のほぼ8年3ヵ月にあたります。
そこで、
季節のズレを調整するため、
8年に1度、
3ヶ月長くなる閏年が設けられ、
古代オリンピックはこの3ヶ月間に行われていたと考えられています。
きの8年という長さは、
古代ギリシア社会では重要な単位でした。
そもそも古代オリンピックは、
ゼウス神に捧げる宗教儀式であり、
宗教は暦と密接な関わりをもっています。
しかし、閏年が8年おきで、
3ヵ月をまとめて調整するのでは、
季節のズレが大きすぎます。
そこで、4年に1ヵ月、
次の4年で2ヵ月
と調整されるようになり、
8年に1度で間があきすぎていたオリンピックも、
4年に1度の開催になったのです。
はっきりと年代が確定できる最古のオリンピックは、
紀元前776年に行われたもので、
これ以降は4年に1度ずつ開催されています。
古代オリンピックは、長らく中断されていた時期があり、
紀元前776年のオリンピックは都市国家のイヒテス王が復活させたものでした。
その時には、
かつての開催方法やルールは忘れ去られていたと伝えられています。
中断期間がかなり長かったので、
オリンピックを復活するためには、
すべての方法を新たに定めなければなりませんでした。
イヒテス王は、
開催時期を太陽暦の8年の半分である4年に1度、
太陰暦では49ヵ月に1度と50ヵ月に1度を交互に繰り返すこととして、
これが近代オリンピックにまで受け継がれているのだそうです。
しかし、近代オリンピックの夏季大会が、
第1回アテネ大会以降、
閏年に開催されているのは偶然にすぎないそうです。