東京で歌舞伎を見ることができるのは、
銀座にある「歌舞伎座」と
「新橋演舞場」ですね。
江戸時代でも、中村座、市村座、森田座、山村座のいわゆる江戸四座が、
境町(現在の人形町)、
葺屋町(ふきやちょう)(現在の人形町)
木挽町(こびきちょう)(現在の銀座)
にあったのだそうです。
「歌舞伎町」といえば、東洋一の歓楽街として世界的にもしられていますね。
キャバクラやホストクラブ、風俗店、パチンコ屋などが軒をつらねていますが、
「歌舞伎町」では、昔も現在も歌舞伎を観ることはできません。
でもどうして「歌舞伎町」という名前が付いたのでしょうか?
この辺一帯は、1945年の東京大空襲で焼け野原となりました。
実は、戦後復興計画の中で、
この地域に歌舞伎を上演するための劇場建設が予定されていたのです。
結局、その計画は頓挫してしまいました。
しかし、歌舞伎の劇場が建設される予定の町という意味の「歌舞伎町」という地名だけが残ってしまったのです。
「歌舞伎」の代わりに作られたのが、
1956年に建設された「新宿コマ劇場」です。
この劇場では、ミュージカルなども上演されましたが、
何といっても「演歌の殿堂」として有名になりました。
北島三郎や氷川きよしなど、多くの演歌歌手の公演が開催されましたが、
1008年に閉館し、
2011年から解体工事が始まりました。
2015年に4月には、東宝の複合インテリジェントビル「新宿東宝ビル」に変わっています。