私が「うつ病」になるなんて
私が「うつ病」になったのは、平成4年のことです。
私が勤務している老人ホームには、生活相談員(当時は生活指導員)が2名必要なんですが、上司の生活相談員は寮母と兼務、生活相談員の仕事はほとんど私一人で行っていました。
それ以前の上司も飲酒して職場にくるか来ないかわからない状態で、その時も生活相談員の仕事はほとんど私一人で行っていました。
2人分を1人で行なうのですから、完全に行なえるわけがありません。
それでも何とか仕事をこなしていました。
平成4年度に施設の全面改築が終わり、新しい職員体制になりました。
上司の生活相談員になったのは、元寮母の方。
私よりかなり年上なんですが、仕事はあまりやりたくないが理屈屋さんという人でした。
隣の席で新聞を読みながら「〇〇しなければ!」とは言うものの、全く動こうとしません。
こちらとすれば、「早くやれよ!」と言いたいところですが、上司なので言えません。
イライラするばかりです。
挙句の果てには、入所者100名のうちの3名分だけ自分で仕事をして、残り(97名分)はお願いねを私に押し付けてくるのです。
職員体制が変わったので、行事などの予定を他の職員と調整しに行こうとすると、「その職員は今の時間は、他の仕事をしているはずです。」と言われ、身動きが出来ない状態になってしまいました。
行事はどんどん迫ってきます。
一人で行事の内容を考えようとしても、頭の中に霧がかかったみたいで、考えことができなくなってしまいました。
毎日イライラして、人の話を聞いていても、他のことを考えてしまい、まったく考えがまとまらなくなってしまいました。
さらには、今までは、誕生会などの進行はシナリオなしで進めることが出来ていたのに、途中で頭の中が真っ白になり、言葉が全くでない状態になってしましました。
専門医の受診
このような状態であることを施設長に話をしたところ、他の人にわからないように、診察時間以外で、病院の精神科の医師の受診ができるようにしていただきました。
当時、アメリカでは精神科の医師の受診を受けることは、ステータスだという本を読んでいたので、少々腑に落ちなかったのですが、診療時間に受診しました。
精神科の医師に、「先々のことが心配で、考えがまとまらないのです。」と言ったら、
「僕もそうです。こうやって診察していても、明後日のことを考えていますよ。」とのこと。
じゃあどうすればいいのかな?
医師は、「うつ病の時は、くすりを飲んで3カ月ぐらい休んで寝ていてください。新書版の本を出して、この本にそう書いてありますから。」とのこと。
専門書じゃないのかよ!と思ったものでした。
「うつ病」の人にやってはいけないこと!
施設長から私のことを聞いた人たちが、飲みに連れて行って、励ましてくれました。
後から知ったのですが、「うつ病」の人にやってはいけないことなのだそうです。
実は、その当時のこをほとんど覚えていないのです。
飲みに連れて行ってもらったのは、うっすらわかるのですが、どこに行って何をしたのかはまったく覚えていないのです。
覚えているのは、飲みに行った日は、午前3時になると気持ちが悪くなり、トイレで吐いていたこと。
酒とうつ病の薬は相性が悪いんだなと思ったのでした。
見舞いが来ない病気より見舞いが来る病気
当時、私は煙草を約10年やめていました。
しかし、毎日落ち着きません。
このまま、うつ病で入院することになったら、誰も見舞いに来ないよな!
煙草を吸って肺がんになったら、誰かは見舞いに来るよな!
ということで、10年やめていた煙草を吸い始めました。
それから、徐々に「うつ病」は、改善していき、平成6年には結婚することもできました。
煙草がよかったのか?
それよりも、考えを変えたのがよかったのだと思います。
現在も時々言葉が出てこないという、後遺症はありますが、当時より大変な状態でも、当時ほど落ち込まずに生活できるようになりました。