雑学

ジョン・F・ケネディが尊敬した日本人

スポンサーリンク

あなたは、アメリカの第35代大統領、ジョン・F・ケネディが尊敬した日本人を知っていますか?

スポンサーリンク

ジョン・F・ケネディは、日本人記者団の質問に、日本の政治家で最も尊敬しているのは、上杉鷹山であると答えたのです。

上杉鷹山とは、どんな人物なのでしょうか?

上杉鷹山は、1751(宝暦元年)7月20日に高鍋藩主秋月種美(3万石)の二男として誕生しました。

幼名は、松三郎または直松といいました。

母は、秋月藩黒田長貞の娘の春姫です。

春姫の母は、上杉綱憲の娘です。

上杉綱憲とは

上杉綱憲は、赤穂浪士の討ち入りの敵役で有名な吉良上野介義央(きら-こうずけのすけ-よしなか)の長男です。

伯父であった上杉綱勝の急死により改易の危機にあった上杉家の家督相続をゆるされて、米沢藩の4代目当主になりました。
しかし、家督相続の件で、米沢藩は30万石から15万石に減らされてしまいます。

でも、父である吉良上野介は、他の大名にバカにされないように贅沢をするように勧めたとのこと。

米沢藩が貧乏になった一つの理由でもありますね。

このように、貧乏藩になってしまった米沢藩を立て直したのが、上杉鷹山です。

いわは、行政改革の祖みたいな方なんですね。

 

上杉鷹山は17歳で米沢十五万石の藩主になりました。

藩主になると、大検令・産業開発・藩校興譲館の創立・政務の革新を断行しました。

ちなみにこの時創立された藩校は、現在も米沢興譲館高等学校として米沢市に存在します。

県内でも一、二を争う進学校です。

また、米沢織・米沢鯉・深山和紙など鷹山が興した産業は現在にも伝承されています。

ちなみに、深山和紙は、山形県西置賜郡白鷹町で行われています。

正確には、1785(天明5)年に、養子である治広に家督を譲って隠居して、鷹山と号したのです。

鷹山が奥様は、知的障がい者だったようです。

スポンサーリンク

関連コンテンツ

-雑学