古代に日本人は、自然そのものである太陽とか月、山、木々やさまざまな生き物、田畑に
まで神が宿ると考え、空と大地とに祈りを捧げていました。
いわゆるアニミズムです。
世界三大宗教といわれるキリスト教、仏教、イスラム教は、いずれも預言者ないし開祖に
導かれて広まっていったものです。
日本の場合、人ではなく自然が崇拝の対象だったのでしょうか。
それは日本がいまに至るまで災害の非常に多い列島で、文明以前からその猛威に苦しんで
きたからではないかといわれています。
地震、津波、台風、洪水、大雪など人間の力ではどうしようもない大きな力が自分たちの
暮らしのまわりにあり、共存していかなければなりません。
したがって、古代の日本人は、自然の中に神を見出したのではないかといわれています。
自然を克服し、制圧するものと考える欧米の文化とは違い、日本人にとって自然とは、畏
れ、敬う対象なのです。
古代の日本人は、とりわけ巨大で神々しいの…勇壮な姿かたちをした山であるとか、大き
な岩石、大地をつかみ空に伸びる大木などに注目しました。
そこに神が住むと考えたのです。
八百万の神に、とくに近づける場所だと考えたのです。
縄文時代からすでに日本人は、そんな「聖地」の前に祭壇をつくり、原始的な儀式を行っ
ていたといわれています。
東北地方を中心に北海道や関東各地では、縄文時代中後期の環状列石(ストーンサーク
ル)がたくさん発掘されていますが、
これは、原始神道の祭祀に使われていた跡ではないかという説があります。
そこでは、何らかのセレモニーに使ったと思われる土偶や石棒、土版などの遺物が出土さ
れているからです。
弥生時代のものである島根県の荒神谷遺跡(こうじんだにいせき)と加茂岩倉遺跡(かも
いわくらいせき)では、銅製の剣や鐘が大量に発見されたので、ここでも、祭祀が行われ
ていたと考えられています。
このふたつの遺跡からほぼ等距離の場所に、仏教山(ぶっきょうざん)があり、弥生人た
ちの聖地だとういわれているのです。
この山は、8世紀に編纂された「神名火山(かんなびやま)」なのだそうです。
「神名火山」は、「神奈備」とも表し、「神が隠れ、こもる地」という意味なのだそうで
す。
山に神が宿ると考えた古代人の思想が、そのまま名前に表れているのです。
自然を崇拝スタイルは、時代の流れとともに変化していきました。
やがて、巨木に注連縄の原型のようなものを巻いたり、山を望む場所に鳥居らしきものを
建てるようになり、そこが神を祀る場所として、聖域として認知されていったのです。
これが神社の起源です。
人知の及ばない大自然に、人が装飾を施して信仰の対象としたものが日本の神社なのだそ
うです。