徳川幕府の第5代将軍・綱吉の「生類憐みの令」悪法で、この法律のもと、綱吉は犬を傷つけた者を死刑にするなど庶民弾圧の悪政を敷いた将軍だといわれていますね。
実は、「生類憐みの令」は、当初、捨て子・捨て老人・捨て馬に対する規制だったのです。
この頃は、まだ戦国の遺風によって殺伐とした空気が色濃く残っていました。
人も馬も役にたたなくなると野辺に捨てられ、江戸市中では、「かぶき者」と呼ばれる無頼の輩が横行し、所かまわず暴力沙汰を起こしていたのです。
「生類憐みの令」は、生けとし生けるものを大切にすることで、戦国の遺風を一掃しよ
うとした政策の一環だったのです。
「生類憐みの令」に対する誤解の中で、犬が得にクローズアップされるのは、綱吉が野良犬対策に力をいれたからなのです。
綱吉の就任当時、江戸は野良犬の害に頭を悩ませていたのです。
横行する野良犬たちは、ゴミを荒らし、人を噛み、捨て子を噛み殺すこともあったそうです。
綱吉が江戸近郊に開設した野良犬収容施設「御囲(おかこい)」は、江戸の人々を野良犬の害から守るためだったのです。
これが、犬を過剰に保護しているように世間には映り、「犬公方(いぬくぼう)」との揶揄が生まれたのです。
元禄5(1692)年に綱吉に謁見したドイツ人医師のケンベルは、『日本詩』の中に「法律を厳格に守り、国民に対して憐み深い君主」と記載しています。