日本の国技である相撲は、
『日本書記』にもそのエピソードが記されています。
相撲における勝負の場所である「土俵」が世に登場したのは、
戦国時代末期から江戸時代初期にかけてのことだそうです。
それまでの相撲は、
ぐるりと人垣に囲まれた中で相手を押し倒したり投げ飛ばしたり、
どちらかが動けなくなるまで闘うものだったそうです。
それが、
一定の場所を区切って土俵として、
そこから出たり手をついたら負けというルールのもとに行われるようになりました。
これは、織田信長のアイディアだという説があります。
真偽のほどは確かではありませんが、
織田信長はかなりの相撲好きだったと伝えられています。
江戸時代の土俵は、
相撲をする場の四隅に柱を立ててそれに紐を張るという、
ボクシングやプロレスのリングに似たものだったそうです。
土俵が円形に変わったのは、
江戸時代中期頃からだそうです。
しかし、
地方によっては「角土俵」で相撲が行われていましたし、
神前相撲なおの儀式では、
八角形の土俵や二重の丸土俵を用いることもあったそうです。
やがて土俵の仕切りには、
紐でなく土を詰めた俵を置くようになりました。
さらに、
それまで平面にあった土俵が、
土を盛った壇上に築かれるようになりました。
俵の形も細く、
半分以上を埋めるようになりました。
これは、見物人がより見やすいように考慮されたからだと考えられています。
四角い土俵の場合、
角に追い詰められた者は身動きがとれなくなってしまいます。
ボクシングの場合、
相手をコーナーに追い込んで身動きをとれなくするというテクニックなどがありますね。
土俵が丸くなったことによって、
押してくる相手を丸くなった土俵際でかわすという攻防ができるようになりました。
国技館の
土俵の上には、
立派な屋根が吊り下げられていますが、
相撲が屋外で行われていた名残です。
土俵の屋根は、
四本の柱で支えられているのですが、
観客から良く見えるようにというのと、
テレビ中継の都合がいいように、
柱を取り払って、
屋根を吊るしているのです。