夏になると盛んになるのは、幽霊話。
特にお盆近くになると、テレビなどでも番組が増えますね。
日本の場合「幽霊には足がない」というのが、一般的に広く信じられています。
しかし、幽霊に足がないのは、日本だけなんです。
海外の幽霊には、ちゃんと足がついているのです。
どうして、日本と西洋では幽霊に違いがあるのでしょうか?
日本の幽霊は、この世に深い思いを残して新でいった人や、
無残な死を遂げた人の魂が形をなしてあらわれるもので、
その望みをかなえたり、
手厚く供養してあげたりすれば成仏するといわれています。
西洋の幽霊も、望みがかなったり、
弔われたりすることによってはじめて死ぬことができ、
冥途へ旅立つのだそうです。
足のある・なしを除けば、日本も西洋も幽霊に大きな違いはないどです。
実は、昔、日本の幽霊にも足がちゃんとあったのです。
日本の幽霊に足が無くなったのには、二つの起源があります。
一つは、「四谷怪談」を起源とするものと、
円山応挙(まるやまおうきょ)の幽霊画を起源とするものです。
江戸時代の文化年間(1804~1817年)の頃、歌舞伎役者の尾上松緑(おのえしょうろく)が「四谷怪談」での演技をする際、幽霊の凄みを出すために発案したのが、
足を隠し、飾りの人魂とともに「ヒュー・ドロロロロロ…」と音を鳴らして、
幽霊を登場させる演出でした。
この演出が、とても怖いと観客のあいだで評判を呼び、
芝居も大盛況になったのです。
それ以来、人魂と足のない幽霊が定番の演出となり、
この演出から人々は、「幽霊には足がない」と考えるようになったのだそうです。
「ヒュー・ドロロロロロ…」も音を聞いただけで幽霊だと思うど浸透していますね。
また、江戸中期の画家、円山応挙は、足のない幽霊を最初に描いた画家として有名です。
背景の無い絵に足元がスッと消えている応挙の幽霊画は、
なんとも言い難い不気味さがあり、
当時の人々に強烈な印象を与えました。
こうして、応挙の描いた足のない幽霊のイメージが定着して、
やがて、日本の幽霊から足がなくなったのだそうです。
この演出と応挙の幽霊画がなかったら、
日本の幽霊にもまだ足があったのかもしれませんね。