JR上野駅から御徒町駅までの線路脇の、約400メートルの道沿いに、400以上もの店があります。
単純に計算すると、1店舗の間口は1メートルしかありません。
食料品から衣料、電化製品、貴金属などあらゆるものが手に入ります。
店員が通り客に「だみ声」でよびかけることも有名ですね。
年末には正月用の買い物客で混雑します。
東京の年の瀬の風物詩にもなっていますね。
このアメ横、どうして「アメ」横と呼ぶのでしょうか?
終戦直後の1945年頃、上野駅から御徒町駅にかけて無数のバラック店舗が立ち並びました。
いわゆる闇市です。
当時、東北地方から生活必需品を求めて東京にやってくる多くの人たちは上野駅を利用していました。
上野駅周辺は闇市を訪れる人と鉄道を待つ人たちでごった返していたそうです。
鉄道を待つ長蛇の列の人たちに、「簡単に口に入れられる飴を売ったら儲かるのでは」と飴売りの商売が始まりました。
サッカリンを使った飴菓子や芋菓子が大人気になり、
あっという間に300軒もの飴屋ができ、
「アメ屋横丁」と呼ばれました。
その後、1950年代になると、
朝鮮戦争もあり、駐留米軍の放出品が大量に出回り、
そこから「アメリカ横丁」と呼ばれるようになりました。
飴菓子を売っていた「アメ屋横丁」と、
米軍放出品を扱う「アメリカ横丁」の
「アメ」が重なって、「アメヤ横丁」となり、
略して「アメ横」となったのです。