氏名の「氏」は、「うじ」と読み、本来は血筋を示すものでした。
藤原、源、平、橘などですね。
藤原氏は、645年の大化の改新の功労者である中臣鎌足が、
当時の天皇から藤原の氏を授けられたときから始まりました。
「氏」とは、、もともとは天皇から授けられるものだったのです。
「姓」も、天皇から授けられるもので、
家の格式を示すものです。
姓と書いて「かばね」と読みます。
天武天皇が「八色の姓」を制定し、
朝臣(あそん)、宿禰(すくね)などの姓を授けたそうです。
名字は、出身地などをもとに、自分の家に対してつけた呼び名です。
江戸時代まで名字を許されていたのは武士や貴族に限られていました。
商人や庄屋には名字を名乗る者もいたのですが、
特別な功労をあげた人など以外は、公式には認められていませんでした。
ところが明治になって3年目の1870年に、
「平民苗字許可令」が出され、
誰でも名字を持てるようになりました。
しかし、名字を使おうとしない人がいたので、
1875年には、「平民苗字必称義務令」が発令され、
必ず名字を持つことが義務付けられました。
日本人は、圧倒的に農民が比率が高かったので、
稲作に関連を持つ名字をつけるケースが多かったそうです。
田中、上田、山田、中田などですね。
収穫した稲を干すときの一本の棒の鈴木とかですね。
天皇から授けられた氏と姓と、
自分で付けた名字は、
古くは厳格に区別され、
公式な場では、「氏+姓+名」で呼ばれたそうです。
外人みたいですね。
天皇から授けられた氏や姓は公式、
自分でつけた名字は私的なものだったのですね。
徳川家康は、
公式文書では、氏が「源」、
姓が「朝臣」、
名が「家康」
で、「源朝臣家康」だったのだそうです。
「徳川」という名字は私的なもので、公式のばでは用いられることはなかったとのこと。
氏も姓も天皇が授けるもので、
名字は自分の家に対してつけたものなので、
天皇が自分に氏や姓を与えることもなければ、
自分の家に対して名字をつけることもしなかったので、
今の皇室に名字にあたるものはないのです。