神社の参道の入口の左右に、
まるで神社を守っているように陣取っている一対の狛犬。
よく見てみると、その姿は、「犬」とは違っていますね。
「狛犬」は、犬ではないのです。
狛犬は、平安末期に伝来したといわれています。
その頃は、高麗犬と表記したそうです。
高麗とは、現在の朝鮮半島のことです。
中国から朝鮮経由で伝わってきたと考えられています。
遣唐使が持ち帰ってきたという説もあります。
その荒々しい形は、当時の日本には存在しない動物だったようで、
聖獣として崇められ、宮中に飾られたのだという。
天皇を魔から守る霊力があるとされていたのだそうです。
平安の頃は、マスコットのような小型で、木製のものが主流でした。
『枕草子』や『栄花物語』には、
宮中で愛用される狛犬像の姿が描写されています。
やがて、「魔除けならぜひウチにも」と神社が狛犬を拝借するようになります。
神社だけでなく、一部の寺院も取り入れはじめ、
日本人の信仰に欠かせないものになっていきました。
狛犬は、大型化と石像化が進み、
江戸時代には、神社とセットになっていたそうです。
狛犬のルーツは、エジプトのスフィンクスにまで遡るのだそうです。
狛犬には、口を閉じているものと、牙を剥いて口を開けているものがいますね。
開口型は、「阿」、閉口型は、「吽」で、ふたつ合わせて「阿吽(あうん)」といいます。
これは陰陽の思想で、「阿」は陽でオス、「吽」は陰でメスとされています。
しかし、阿吽像の一種である左右一対の仁王像は、どちらも男性ですね。
神社を守る聖獣も力強いオスであるべきだという要求が大きかったそうで、
一般的に狛犬は、オスであると言われています。
しかし、
長崎県対馬市の豆酘(つつ)にある多久頭魂神社(たくずだまじんじゃ)には、
オスとメスの狛犬がいるそうです。
口を開いている狛犬にはオスの、口を閉じている狛犬にはメスの性器らしきものが彫り込まれているという。
他にも、各地にオス、メスと区別した狛犬が伝わっているのですが、
そのほとんどは江戸時代に作られたものだそうです。
また、オス、メス以外に、開口型がライオン、閉口型が狛犬という解釈もあるそうです。